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動物専用ターミナル [その他]


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米国のJFケネディ空港に動物専用ターミナルができるそうです。
飼い主も動物も快適な空の旅を楽しめそうで素敵ですね。


メチャがくれた「あったかオレンジボール」 [その他]

メチャ、とは、今は亡き愛する次女(雑種猫、毛色だけはシャムそっくり、お顔はタヌキそっくり)の名前です。

メチャったら、それはそれはもうブチャイクでブチャイクで、おつむてんてんも弱くて弱くて、運動神経といったらそれはそれはもう「お前は本当に猫なのか?」っていうくらいドンクサ~くて、(あ、悪口じゃなくて愛おしい気持ちで言ってます)、そういう意味での宇宙トップクラスでした。

そのメチャが最期にすっごいことをやってのけたんです!


もう10年以上経ちます。

メチャはもうかなり老いていました。

老いを見守るのは苦しいものです。
胸がつぶれる思い、です。

成長は日々進化、昨日できなかったことが今日は出来る、を更新し続ける。
若いエネルギーに満ち満ちて。。。

でも、老いは、まったくその逆をたどっていく。

昨日まで出来たことが今日は出来ない。
エネルギーが日に日にしぼんでいく。。。

メチャは検査してもどこも悪くありませんでした。
ただ、老いをたどっていたのです。

どこか悪いのなら、出来るだけの治療をしたいところですが、これは老いなのです。
私にできることは、メチャができなくなっていって困っていることがあればサポートすることです。

だんだん体を動かすことも困難になってきました。
でも、できる限り、自分の要求は自分でしたい、と彼女は考えていました。
そう、そのころ、私は、彼女の思いを全てわかってあげることができました。

メチャは、老いと共に威厳を増していました。

お水が飲みたい、と思っても、そこまで行くのが容易ではない。けれど、ここで寝たままお水を飲ませてもらいたいわけじゃない、自分でそこに行って飲みたいの、と思っているのが分かるので、彼女のプライドを傷つけないよう、そっと支えて、お水を飲むところまで歩いていくのをサポートして、飲む体勢を支え、飲みやすいように食器の高さと角度を支えて、可能な限り、本人的自立をサポートしました。

やがて、もう食べないと宣言しました。

それを受け入れるのは勇気が要りました。

でも、メチャは威厳をもって、気高く、無言で私に宣言するのでした。

お水はまだ飲み続けてくれました。
だから、要らないご飯は強制せず、お水飲みのサポートと、トイレに行っておしっこするお手伝いをつづけました。

そうして、ついに、もうお水も要らないと宣言しました。

うちは動物病院です。
我々夫婦は獣医師です。
中心静脈にカテーテルをいれれば、水分や電解質やビタミンや脂質の補給に留まった一般的な点滴のレベルを超えた生存に必要な高カロリー輸液の点滴ができる知識と技術と機材があります。

でも、それをしていいのか?

これは老い、なのだ。

ゆっくりゆっくり、でも確実に、最期を目指して歩んでいるのだ。

病気ではない。

必要な治療は何一つ無い。


邪魔はしないでおこうね、と、私たちは決めたはずだ。


大好きなお父さんのベッドの上で、横になったままのメチャ。
何にも要らないって言うメチャ。

もう手伝えることもなくなってしまった。

しかし、一切の手伝いを不要と宣言した後、彼女に偉大な変化が起きました。

色々と出来ることを失っていく過程では、メチャ自身一生懸命であっための険しい表情も見受けられたのですが、メチャ自身が全てを手放して、私たちもそれを受け入れたとき、メチャの表情はこの上もなく柔和になり、幸福に満ち満ちて輝き、骨と皮だけになってゴツゴツと硬く感じられていた身体が柔らかく、被毛もふわふわになり、大好きなお父さんのベッドの上で、さんさんと降り注ぐ太陽の光を浴びて、ゴロ~ンとまん丸になって、気持ちよさそうに、うれしそうに、しあわせそうに、何の苦しみもない様子でまどろんでいるのです。見ている私たちまでもが幸せな気持ちになり、思わず微笑んでいました。

そして、心底思いました。
ああ、邪魔しなくて良かった...と。

なんて幸せな気持ちなんだろう。
私たちは微笑み続け、目からは、幸福の涙があふれていきました。

そんな幸福な時が二日続いた後。。。

午後の診察のために、いつものように「メチャ、行ってくるね。」と、気持ちよさそうにしているメチャにキスをして、1階の病院に下りていきました。

診察が終わり、一足先に夫が2階に上がりました。
すぐに音を立てて駆け下りてきました。
その形相を見て、何が起きたのか察知して、私も急いで駆け上がりました。

「行ってくるね。」のキスをした時とおんなじまんまで、その時と全く変わらない姿勢と表情のまま、メチャの生命機能は停止していました。

駆け寄って、「メチャ」と声をかけた時、全く予想も期待もしていないことが起きました。
私の胸の中にあったか~いオレンジ色の大きな(バスケットボールくらいの大きさの)ボールが飛び込んできて、胸の中心からあったか~いものが広がり、満ちていき、この上もなく幸せな気持ちがあふれてきたのです。

え?

意外でした。

カムイが亡くなった時に味わった、壮絶な、想像を絶する痛みに打ちのめされる覚悟でいたのですが、いや、正確に正直に言えば、覚悟はできておらず、恐れていたのですが。。。

驚きました。

ありがとう!メチャ!

痛くない別れ(死別)もあるんだね!

幸せだったもんね!本当に本当に。。。


「メチャがくれた、あったかオレンジボール」、私はそう呼んでいます。


私は、カムイを失った後、残る3人(3匹)の子供たちとのいずれ来る別れに対して、とてつもない恐れを抱いていました。
それは、死が怖いのではなく、そう、死は約束の時でしかないとカムイが教えてくれたので、死自体をマイナスにはとらえていないのですが、怖かったのは、愛する者との死別、愛する者が実際に目で見て手で触れられて言葉を交わすことが出来る状態ではなくなってしまうこと、もうこの目で見ることもこの手で触れることもできなくなってしまうその事実が与える衝撃と痛みと空虚さ、あの壮絶で想像を絶する苦しみを、少なくともあと3回は経験しなければならないのか?という、利己的な身勝手な恐怖でした。

それを、メチャが払拭してくれました。

そうなのか、、、痛くない死別もあるんだ。

いかに、死に向かうか。

死までの過程。

どのように死を迎えるのか。

どのように過ごすか。

いかに生きるか。

こわくないんだよ、死別も... そうメチャが教えてくれました。

メチャが教えてくれたことは、病気ではない老化だけに当てはまるものではありません。

いつ、どのように、最期の別れを迎えることになろうとも、それまでの間を、いかに共に生きるか、本当に大切にするべきことは何なのか、この一瞬は2度と来ないということを肝に銘じて、共に生きる幸せの一瞬一瞬を脳裏に焼き付けて過ごす時、時間の密度が増し、輝き出すのを感じます。

実際、その後デュークとラフィーとの最期へと向かう日々は、恐れずに、いかに「今、この時」を大切に生きるか、今一緒に暮らせる幸せを満喫すること、に集中し、後悔のない、凝縮した光に満ちた日々を過ごすことが出来ました。


カムイとメチャが教えてくれたこと、きっと、多くの人を救うと信じて、これを伝えたいと思いました。

この記事を読んで下さった方で、一つ前の記事≪カムイが教えてくれたこと...「約束の時」≫をまだお読みでない方は、ぜひ、そちらもお読みください。
(この文章は、ヒーリングスペースカムイ及びデューク自然療法クリニックのHPとブログに同時掲載しました。)

カムイが教えてくれたこと...「約束の時」 [その他]

「ヒーリングスペース カムイ」の、「カムイ」とは、愛する亡き長女(茶トラの雑種猫)の名前です。
デューク自然療法クリニックのHPのはじめのフラッシュに登場している子です。

彼女が魂の故郷に帰っていったのは、20年近く前のことです。

当時は、まだ一般西洋医学の視点で治療に励んでいたころです。常に、最新、最先端を追い目指していました。

カムイにも、最新と最善をもって、全身全霊で治療していました。

勤務先の病院で入院治療をしていたカムイ、晴れて退院、というその日が来るのを信じて、いや正確には信じたくて、退院の時に連れて帰るための素敵なバスケットや、退院祝いのための可愛い首輪を探しまわりました。当時はネットで探して購入という時代では無かったので、休みの日に遠くまで足を運んで探しに行き、ようやく心から納得できる素敵なバスケットを見つけ、首輪は可愛すぎて一つに絞り切れず三つも買って、、、

今思うと、いや、当時も薄々感じてはいたのですが、くじけず希望をもって治療に取り組み続けられるように、と、自分を奮い立たせていたのだと思います。

しかし、生きて家に連れて帰ることはできませんでした。


カムイが死んでしまった。。。

どうして?

なぜ?


医学的な死因は答えにはなりません。


どうして? なぜ? なぜ今死ななきゃいけないの? 

どうすれば良かったの?


なぜ? なぜ? なぜ?


何か月も何か月も、ずっとずっと、自問自答を繰り返していました。

どの時点で、何をどうしていれば、この死はさけられたのだろうか?と時間を遡って、どんどん遡って、ずっとずっと、考え続けていました。(治療法の選択という意味ではありません。)


そして、半年以上は経った、ある日。


いつものように、夜遅く仕事から帰り、二人の子供(バーニーズマウンテンドックのデュークとシベリアンハスキーのラフィー)の散歩に出かけました。
今でも鮮明に覚えていますが、月明かり、という言葉が自然に浮かんでくる、とっても月が明るくきれいな夜でした。夜更けの静かな住宅街を、デュークとラフィーとともに、月明かりに照らされて歩いていました。散歩しながらも頭の中は、記憶を遡らせ、「あの時こうすれば良かったのか?あの時ああすれば良かったのか?」と考え続けていました。
そしてどんどん時間を遡って検証していくうちに、そもそもの事の発端になったのは、、、
入院治療が必要な事態になったのは、、、

、、、いつもと違うところに椅子を置いていたためだった、、、というところに行き当たったのでした。

これを読んでいるだけでは経緯詳細が不明で、なんだかサッパリわからない、と思われるかもしれませんが、大事なのは経緯詳細ではなく、この、「いつもと違うところに椅子を置いていただけ」ということが事の発端になっていた、ということに気付いて、このことに気付いたその時、「それは、もう予想もできなかったし、回避は不可能だった」と悟ったことなのです。
「これは回避不可能なことだったんだ。。。」
その時、天から何かが落ちてきて、頭を突き抜け、胸にストンと、まるで失くしていたパズルのピースがピタリとはまるように、「約束の時が来たんだ。」と理解したのでした。
カムイは、天からこの世にやってくる時に、再び戻っていくまでの時間を天に約束してきていて、「その約束の時が来ていたんだ。しかも、その約束の時は実はもうかなり過ぎていて、延長に延長を重ねて、私の傍にいてくれたんだね。でももう帰らなければいけなかったんだね。この世から天に戻るには、死という手段をとるしかないんだもんね。。。ありがとう、こんなに長く、一緒にいてくれて。ありがとう、ずっと愛してくれて。。。」

カムイは、自らの死を通して、全ての死における普遍的答えを教えてくれました。

私は、獣医師という仕事柄、実に沢山の死にも立ち会います。
その中には、誰から見ても幸せな大往生と思える死もありますが、あまりに理不尽と思うような死もたくさんあります。なぜ?どうしてこの子がこんなに早く死ななきゃいけないの?飼い主さんも良い人で落ち度もなく何も悪くなく、この子も何にも悪くないのに、なぜそういう運命なの?納得いかない!と思う時もいっぱいありました。
その答えも、カムイがくれました。
ただ、約束の時が来ただけなのだ、と。
どんなに短くても、それは、元々天に帰る約束をしてきた時間なのだ、と。
そして、天に帰るための、通り道として死があり、死ぬための現象が必要で、そのために起きた事象なのだ、と。
我々は、その約束の時を前もって知ることを許されてはいないので、「普通なら」と想定する時間よりも短い一生だったりすると、そしてそれが短ければ短いほど、理不尽に思え、不幸に思えたり、何か非があったのではないかと自分を責めたりするけれど、実はその時間は、すでにこの世にやってくる前に天と約束してきた時間で、どちらかというとどんなに短く思えても、大抵の場合約束の時間を延長してできる限り長く一緒にいてくれていたのです。
ということが、純粋に、自然に、確信として私の中に芽生えたのでした。

そして、その約束の時間の間をどこでどう生きるかは、最も楽しんで生きられるところだったり、あるいは最も救おうと思うところだったり、あるいは何かを教えようとしてだったり、その魂の目的と力を携えて、選んだところにきてくれている、ということも同時に確信しました。

このことを伝えたい。。。

機会あって、直接お伝えできた方々もいらっしゃいます。

きっと、もっと、この普遍の真理を知ることで救われる人はいっぱいいるだろうと思います。

「約束の時」の理解が誰かを救えるかもしれません。

その時は、どうぞ、この真理を優しく伝えてあげてください。

(この文章は、ヒーリングスペースカムイおよびデューク自然療法クリニックのHPとブログに同時掲載しております。)

お休み [その他]


12月30日から、1月4日まで、お休みします。
今年(2011年)は、国民的に、また、人類、地球、ユニティ的にも、大きな事がありました。
受け止め方、取り組み方、学び方は、千差万別でしたね。。。。。
各個人の本質が浮き彫りになりました。
視野・視点、認識、の格差というものも、大いに実感せざるを得ない年でもありました。
すべては、良き未来への材料と思い今年を終えましょう。
ユニティに反するものに、気づきと改心あれ!
地球と良心よ、一方的被害者になるなかれ!
新年に祝福あれ!

大雪だ [その他]

今年最初の雪かきです。
終わったら、シャンパーニュ飲みたいな~
でも、仕事ある(T . T)

もうすぐクリスマス [その他]


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ドイツのクリスマスマーケットで見つけたトナカイさんです。

『しつけ』撲滅運動 [その他]

動物たちに使われている「しつけ」という言葉に対して、日々感じていた違和感・不快感から気づき、到達した思いです。
「しつけ」撲滅運動、起こしたいものです。
「しつけ」という言葉を使うのをやめるだけでも、動物たちへの、また子供たちへの、誤った接し方が正されると思われます。
動物も子供も、何も教えず野放しにしろと言っているのではありません。
動物たちと人間が一緒に暮らしていくために、お互いが快適に、お互いを尊重して暮らしていけるように、また彼らの安全を確保するために、どういう約束事が必要かを考え、伝え、理解してもらう必要はあります。子供たちにも対しても同じでしょう。でも、それには「しつけ」という表現は適切ではないと考えます。
「しつけ」という言葉、そこからどんな感じを受けますか?
「しつけ」という言葉の背景には、しつける側としつけられる側、があります。そして「しつけ」という言葉を使う時、その2者の間には無意識のうちに支配関係の視点が入り込んでいます。無意識に、自分が教えようとしていることに権威性と正当性を確信し、これを一方的に押し付け従わせる、これが問題なのです。
そこには、相手を一個の魂が宿る、その子その子の個性を持ったユニークな存在として、尊重し個性や長所を伸ばす手伝いをしようとする心の動きがありますか?
動物たちにも、子供たちにも、彼らの持って生まれた個性が最大限生かされた成長をしてもらいたい、そして、その結果は、自分を認め、相手を認め、愛と尊重に満ちた暮らし、そういう世の中になってほしいと切に願うものです。
「しつけ」という言葉が生む潜在的な支配欲と暴力の快楽をなくすためにも、まずは、「しつけ」という言葉をつかわないようにしてみることを提唱します。その代わりになる言葉を考えた時、きっと何かに気がつきます。

ホームページをリニューアルしました。 [その他]

皆さん、こんにちは。
なんとかホームページをリニューアルしました。
http://www.duke1998.jp/
最初の出だしは同じフラッシュですが、バーニーズ(息子のデュークです)の下をずず~と見てもらうと、
目次が見れるようになってます。
まだ未完成ですが、そのうち少しずつアップします。


ヒアアフター [その他]

ヒアアフター、見てきました。

いやあ~、いい映画です。

ものすごく、自分の経験していることと共通しているので、うなづきながら見てました。

今自分がしている動物たちとの交信とも近いものがあって、そうそう、そうなんだよね~、とか、幽体離脱の経験とも共通するし、これって本当なんだけどなあ~、でも、未だに受け入れられない人もいるんだよね~、とか、、、

そうそう、私はかつて、頻繁に体脱(幽体離脱)してました。

ある時から、あまり、体脱しなくなって、なんだか3次元まみれになっちゃったのかなあ~って落ち込んでた時もあったのですが、最近、それに対するメッセージを受け取りました。




体脱しなくとも、十分に3次元を超えた仕組みの存在をわかったろう?

意識を持ったまま、宇宙を感じるようになれ。

意識をもったまま、宇宙とつながれ。




もしかしたら、そのひとつのとっかかりが、今取り組み出しているアニマルコミュニケーション(動物との交信)なのかもしれませんね。

ほんとに彼ら(動物たち)ってすごいこと言うもの!それは、宇宙の愛からのメッセージだと思える。

そう、この貴重な言葉の数々を、多くの人に伝えるために、マジで出版するのが私の使命かも。と、思う今日この頃です。




あけましておめでとうございます。 [その他]

新年あけましておめでとうございます。
去年に引き続き、今年も面白くなりそうです。
今まで常識だと思っていたことが、実は目先の安楽のためであって、本当の真実は、実は今まで非常識と思っていた事にあるかもしれません。
メディアや権力、他人に惑わされず、自分の魂が正しいと思う事に従いたいと思います。


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