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メチャがくれた「あったかオレンジボール」 [その他]

メチャ、とは、今は亡き愛する次女(雑種猫、毛色だけはシャムそっくり、お顔はタヌキそっくり)の名前です。

メチャったら、それはそれはもうブチャイクでブチャイクで、おつむてんてんも弱くて弱くて、運動神経といったらそれはそれはもう「お前は本当に猫なのか?」っていうくらいドンクサ~くて、(あ、悪口じゃなくて愛おしい気持ちで言ってます)、そういう意味での宇宙トップクラスでした。

そのメチャが最期にすっごいことをやってのけたんです!


もう10年以上経ちます。

メチャはもうかなり老いていました。

老いを見守るのは苦しいものです。
胸がつぶれる思い、です。

成長は日々進化、昨日できなかったことが今日は出来る、を更新し続ける。
若いエネルギーに満ち満ちて。。。

でも、老いは、まったくその逆をたどっていく。

昨日まで出来たことが今日は出来ない。
エネルギーが日に日にしぼんでいく。。。

メチャは検査してもどこも悪くありませんでした。
ただ、老いをたどっていたのです。

どこか悪いのなら、出来るだけの治療をしたいところですが、これは老いなのです。
私にできることは、メチャができなくなっていって困っていることがあればサポートすることです。

だんだん体を動かすことも困難になってきました。
でも、できる限り、自分の要求は自分でしたい、と彼女は考えていました。
そう、そのころ、私は、彼女の思いを全てわかってあげることができました。

メチャは、老いと共に威厳を増していました。

お水が飲みたい、と思っても、そこまで行くのが容易ではない。けれど、ここで寝たままお水を飲ませてもらいたいわけじゃない、自分でそこに行って飲みたいの、と思っているのが分かるので、彼女のプライドを傷つけないよう、そっと支えて、お水を飲むところまで歩いていくのをサポートして、飲む体勢を支え、飲みやすいように食器の高さと角度を支えて、可能な限り、本人的自立をサポートしました。

やがて、もう食べないと宣言しました。

それを受け入れるのは勇気が要りました。

でも、メチャは威厳をもって、気高く、無言で私に宣言するのでした。

お水はまだ飲み続けてくれました。
だから、要らないご飯は強制せず、お水飲みのサポートと、トイレに行っておしっこするお手伝いをつづけました。

そうして、ついに、もうお水も要らないと宣言しました。

うちは動物病院です。
我々夫婦は獣医師です。
中心静脈にカテーテルをいれれば、水分や電解質やビタミンや脂質の補給に留まった一般的な点滴のレベルを超えた生存に必要な高カロリー輸液の点滴ができる知識と技術と機材があります。

でも、それをしていいのか?

これは老い、なのだ。

ゆっくりゆっくり、でも確実に、最期を目指して歩んでいるのだ。

病気ではない。

必要な治療は何一つ無い。


邪魔はしないでおこうね、と、私たちは決めたはずだ。


大好きなお父さんのベッドの上で、横になったままのメチャ。
何にも要らないって言うメチャ。

もう手伝えることもなくなってしまった。

しかし、一切の手伝いを不要と宣言した後、彼女に偉大な変化が起きました。

色々と出来ることを失っていく過程では、メチャ自身一生懸命であっための険しい表情も見受けられたのですが、メチャ自身が全てを手放して、私たちもそれを受け入れたとき、メチャの表情はこの上もなく柔和になり、幸福に満ち満ちて輝き、骨と皮だけになってゴツゴツと硬く感じられていた身体が柔らかく、被毛もふわふわになり、大好きなお父さんのベッドの上で、さんさんと降り注ぐ太陽の光を浴びて、ゴロ~ンとまん丸になって、気持ちよさそうに、うれしそうに、しあわせそうに、何の苦しみもない様子でまどろんでいるのです。見ている私たちまでもが幸せな気持ちになり、思わず微笑んでいました。

そして、心底思いました。
ああ、邪魔しなくて良かった...と。

なんて幸せな気持ちなんだろう。
私たちは微笑み続け、目からは、幸福の涙があふれていきました。

そんな幸福な時が二日続いた後。。。

午後の診察のために、いつものように「メチャ、行ってくるね。」と、気持ちよさそうにしているメチャにキスをして、1階の病院に下りていきました。

診察が終わり、一足先に夫が2階に上がりました。
すぐに音を立てて駆け下りてきました。
その形相を見て、何が起きたのか察知して、私も急いで駆け上がりました。

「行ってくるね。」のキスをした時とおんなじまんまで、その時と全く変わらない姿勢と表情のまま、メチャの生命機能は停止していました。

駆け寄って、「メチャ」と声をかけた時、全く予想も期待もしていないことが起きました。
私の胸の中にあったか~いオレンジ色の大きな(バスケットボールくらいの大きさの)ボールが飛び込んできて、胸の中心からあったか~いものが広がり、満ちていき、この上もなく幸せな気持ちがあふれてきたのです。

え?

意外でした。

カムイが亡くなった時に味わった、壮絶な、想像を絶する痛みに打ちのめされる覚悟でいたのですが、いや、正確に正直に言えば、覚悟はできておらず、恐れていたのですが。。。

驚きました。

ありがとう!メチャ!

痛くない別れ(死別)もあるんだね!

幸せだったもんね!本当に本当に。。。


「メチャがくれた、あったかオレンジボール」、私はそう呼んでいます。


私は、カムイを失った後、残る3人(3匹)の子供たちとのいずれ来る別れに対して、とてつもない恐れを抱いていました。
それは、死が怖いのではなく、そう、死は約束の時でしかないとカムイが教えてくれたので、死自体をマイナスにはとらえていないのですが、怖かったのは、愛する者との死別、愛する者が実際に目で見て手で触れられて言葉を交わすことが出来る状態ではなくなってしまうこと、もうこの目で見ることもこの手で触れることもできなくなってしまうその事実が与える衝撃と痛みと空虚さ、あの壮絶で想像を絶する苦しみを、少なくともあと3回は経験しなければならないのか?という、利己的な身勝手な恐怖でした。

それを、メチャが払拭してくれました。

そうなのか、、、痛くない死別もあるんだ。

いかに、死に向かうか。

死までの過程。

どのように死を迎えるのか。

どのように過ごすか。

いかに生きるか。

こわくないんだよ、死別も... そうメチャが教えてくれました。

メチャが教えてくれたことは、病気ではない老化だけに当てはまるものではありません。

いつ、どのように、最期の別れを迎えることになろうとも、それまでの間を、いかに共に生きるか、本当に大切にするべきことは何なのか、この一瞬は2度と来ないということを肝に銘じて、共に生きる幸せの一瞬一瞬を脳裏に焼き付けて過ごす時、時間の密度が増し、輝き出すのを感じます。

実際、その後デュークとラフィーとの最期へと向かう日々は、恐れずに、いかに「今、この時」を大切に生きるか、今一緒に暮らせる幸せを満喫すること、に集中し、後悔のない、凝縮した光に満ちた日々を過ごすことが出来ました。


カムイとメチャが教えてくれたこと、きっと、多くの人を救うと信じて、これを伝えたいと思いました。

この記事を読んで下さった方で、一つ前の記事≪カムイが教えてくれたこと...「約束の時」≫をまだお読みでない方は、ぜひ、そちらもお読みください。
(この文章は、ヒーリングスペースカムイ及びデューク自然療法クリニックのHPとブログに同時掲載しました。)
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